塾講師の音読と音のストリーム・ベースに対する評価
ある塾の講師経験者が次のようなコメントをしております。
音読の効果については、「塾講師」という特殊な環境下における個人的な感想です。「音読」は特に文法英語の初学者にとって必要なプロセスではないかと思います。読めない単語・文は書けず、文の構造を理解することも難しいわけですから、そういう意味で「音読の効果は否定できない」と私自身は考えています。
実際に自分が担当していた生徒で英語の成績が芳しくない者は、教科書の英文を声に出してスムーズに読むことができませんでした。夏休みに中一、中二の教科書の音読を課し、夏休み後は成績向上が見られた中三の生徒もいたのは事実です。「音読の効果」とは、そのような個人的体験を表しています。
ただ、あくまでも英語学習の一部における効果であって「音読」を続ければ英語が話せるようになるのか?と問われれば、私はNoと答えます。私自身の英語学習に「音読」が必要なプロセスであると思いません。
なぜ、その教材を使用しているかと申しますと、ポーズ入りの音源とテキスト付きのリピーティング用教材として買い求めたものが、たまたま森沢氏のそれであっただけで、森沢氏が提唱する「英語完全上達マップ」に沿った英語学習を行っているわけではありません。
実際に私はその教材を使っての音読はほとんどしませんし、リピーディングも正解が得られればその時点で止めており、私自身は回数には全くこだわっておりません。3回でOKの時もあれば、7回聞かねばならない時もあります。
ですから私は森沢氏が提唱する回数には全く興味がありません。音読の回数については森沢氏自身の英語学習と氏が主宰する教室で得た最大公約数的な経験則でしょうから、その回数に科学的な根拠があるかどうかを議論するのにも私は興味がありません。
私は大学時代、科目として音響工学も履修しましたが、ある時間長を持つ音は、その時間内で周波数変動を伴ったにせよ音波としては連続しています。英語に限らず音声は連続する音波だというのは私にとって当たり前すぎるので、貴兄が「音声は音のストリームだ」と2ちゃんねるで連呼するのは逆の意味で理解できません(笑)。
英語学習への最適性理論の展開については私にとっては難しい話なので言を避けますが、その考え方が具体的な学習方法へ展開されていると理解すると、言葉は音で覚える、自分が発した音を矯正すべきは自分自身であり、そのためには試行錯誤が必要だというのは極めて自然な考え方で最も共感できる部分です。
500の例文もざっと見た範囲ではありますが、特に文法をことさらに意識する必要のない文がセレクトされていると感じています。自律型の学習により500文を核として、その学習後に自分の中で例文がどんな広がりを持つことになるのか大変興味深く感じております。
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