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2008年6月30日 (月曜日)

心的辞書の検索は非常に多様

人間が英語を読んだ時、英語を聞いた時に脳の部位がどう活性化するかを調べた研究があります。7人の米人や日本人に被験者になってもらい、トポグラフィで調べたものです。

これを読むと心的辞書(メンタル・レキシコン)の検索は非常に多様性がある事が分かります。

大石晴美氏の研究が下記サイトにあります。

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~kosakak/kotoba/ooisi14.pdf

次のような結果が分かりました。

第1被験者(アメリカ人、大学院博士課程在学)
(1)脳内処理過程
音声の場合→聴覚野・ウェルニッケ・縁上回(ほぼ同時に作動)
文字の場合→角回→聴覚野→ウェルニッケ→縁上回
(2)トポ画像分析とアンケート結果考察
ウェルニッケ野が活性化する速度は、リスニングの方がリーディンより速いことと、アンケート結果で、「リスニングよりリーディングの方が理解の速度が速かった」の回答が「どちらかというとそう思わない」と一致する。また、アンケートの結果の「リスニングの方がリーディングより背景知識に頼りがち」と回答しているように、リスニング課題の内容の方があらかじめ詳細な知識があり背景知識を活性化させていた可能性がある。一方、「リスニングよりリーディングの方が理解量が多かった」に「そう思う」と回答していることから、音声が消えてしまうリスニングではなく、視覚として残っているリーディングの情報の方が記憶の保持量が多いのではないかと推測できる。

第2被験者(アメリカ人、大学院博士課程在学)
(1)脳内処理過程
音声の場合→聴覚野・ウェルニッケ・縁上回(ほぼ同時に作動)
文字の場合→角回→ウェルニッケ→縁上回
(2)トポ画像分析とアンケート結果考察
この被験者は、被験者1と活性化されている箇所の流れは共通しているし、リスニングよりリーディングの方の処理に時間がかかっていることも共通している。被験者1と同様に、読むことよりインプットからインテイクへの言語情報処理過程聞くことの方が短時間で処理されることが推測される。アンケート結果より、「英文を文字化して聞きましたか」の回答は「どちらかというとそうは思わない」に対して、「英文を音声化して読みましたか」の回答は「どちらかというとそう思う」で、文字情報が角回を通っていることを裏付けしている。

第3被験者(日本人、文学専門大学英語教員)
(1)脳内処理過程:
音声の場合→聴覚野→ウェルニッケ野→縁上回
文字の場合→角回→ウェルニッケ野→縁上回
(2)トポ画像分析とアンケート結果考察
リスニングにおいてもリーディングにおいても、上記の順で活性化が行われている。音声は文字化をされず、聴覚野で音声認識が行われ、ウェルニッケ野で理解され、文字は音声化されて角回に伝達されて、それぞれ縁上回で処理されワーキングメモリーと連結しているのではないかと推測できる。

第4被験者(日本人、翻訳家)
(1)脳内処理過程:
音声の場合→角回→ウェルニッケ野→縁上回
文字の場合→角回→ウェルニッケ野→縁上回
(2)トポ画像分析とアンケート結果考察
リスニングで、音声入力の時、聴覚野が活性化されないまま、角回が活性化されていることは、英語を聞く場合、意識を集中させて聞かなくても音声を認識できるためなのか、音声が簡単に文字化されて、それが認識されているのではないかという解釈ができる。

第5被験者(日本人教育学大学教員、帯米歴3ヶ月帯英歴1年4ヶ月)
(1)脳の情報処理過程:
音声の場合→角回・ウェルニッケ野→聴覚野・縁上回
文字の場合→角回・ウェルニッケ野→縁上回
(2)トポ画像分析とアンケート結果考察
リスニングにおいて、初期の段階で聴覚野が活性化されず、角回・ウェルニッケ野が同時に活性化されていることから、聴覚野が働かせなくても英語を聞くことができ、語音認知としてウェルニッケ野に入る、その後、意識を集中させる機会があったため、聴覚野が働き、縁上回でワーキングメモリーに連結していると解釈できる。

第6被験者(日本人、文系大学院生)
(1)脳の情報処理過程:
音声の場合→聴覚野・角回・ウェルニッケ野→縁上回
文字の場合→角回・ウェルニッケ野→聴覚野・縁上回
(2)トポ画像分析とアンケート結果考察
インプットからインテイクへの言語情報処理過程
この被験者は、リスニングにおいてもリーディングにおいても、すべての言語処理に関わる脳機能が活性化されていることがわかる。
リスニングでは、聴覚野、角回、ウェルニッケ野が同時に血流量が見られた。これらが常に連動しているか、被験者の意識の集中度がそれぞれの部位で高かったのではないかと推測できる。リーディングにおいても、角回とウェルニッケ野は同時に血流量が見られた。リスニングと同様に連動しているのか、同時に意識を集中させていたかが推測される。0.2秒遅れて縁上回に血流量が見られたことから、理解の速度は同じように早かったのではないかと推測できる。ただ、ウェルニッケ野の活性化の速度を比較してみると、リーディングの方に速く血流量が見られる。

第7被験者(日本人、理系大学院生)
(1)脳内の情報処理過程:
音声の場合→聴覚野→ウェルニッケ野
文字の場合→角回・ウェルニッケ野→聴覚野・縁上回
(2)トポ画像分析とアンケート結果考察
リスニングにおいては、「内容についてあらかじめ背景知識があったのでそれが理解に役に立った」ということがインタビューから伺われた。縁上回が活性化されていないのは、詳細な情報には意識を集中させず、既に知っている内容であったという確認に留まってしまったからではないかと推測される。

2008年6月29日 (日曜日)

メンタル・レキシコンの参照方法

門田修平は大変に博学で購入した本の内容は大脳生理学や心理学にも及んでおり、英語理解のプロセスが大変詳しく書いてあります。

しかし、その知識を正しく使ってないのは大変に残念です。私にはあれだけの知識があるなら、正しい判断を下していないのは、意図的に間違えているとさえ思えてしまいます。

人間が音声を聞いて、文字を見て理解できるのはメンタル・レキシコンによるものと考えれており、日本語では心内辞書とか心的辞書とかに訳されています。

門田氏はこのメンタル・レキシコンには大変詳しく、”英語のメンタルレキシコン”の本も書いております。

しかし、”シャドーイングと音読の科学”の126Pにはこう書いています。

”視覚提示情報の意味理解は2重アクセスモデル、つまり単語のスペリングを認知すると、一旦それを音韻符号化して音韻表象を形成し、それに基づいて意味表象に到達するルートAと、音韻表象を経由しないで、直接の認識に至るルートBの2ルートを仮定している。

しかし、日本人英語学習者を対象にした英語および日本語漢字に関する実証研究は、基本的には二重アクセスモデルを支持しているものの、「ルートA優先の原則」があることを明らかにしている。”

これは英語の文字を見てメンタル・レキシコンを参照する場合に、視覚情報からダイレクトに意味を理解する場合と、文字を音に変換して音の情報を参照する場合があるが、日本人英語学習者は、文字を見ても必ず音に変換して音韻情報のデータを参照している、と結論付けているのです。

門田氏の大きな矛盾は文字情報のメンタルレキシコンの参照方法として、日本人英語学習者と英語ネイティブは違うとしている点であります。

これは私の長い英語学習の体験から、私は現在は文字を見ても音にして理解していないし、ある程度英語を学ぶと面倒なので、自然と音にしないで英語を理解してしまうものなのです。

多分門田氏自身も無意識に文字をダイレクトに理解していると思います。

門田氏が意図的に日本人が文字を見て必ず音にして理解していると間違った判断をしていると言うのは、日本人が必ずメンタル・レキシコンは音韻表象を参照していると言うのであれば、シャドーイングと音読が英語学習の”ほとんど王道と言える方法”にはなるかも知れないからです。

これが私が購入した本のタイトルの一部なのです。

しかし、日本人英語学習者は、文字を見ても必ず音のデータを参照しているは事実ではなく、私の体験からも、他の科学者の研究からもはっきりしています。

2008年6月28日 (土曜日)

”シャドーイングと音読の科学”の非科学

コスモピア社出版、門田修平氏著書の”シャドーイングと音読の科学”と言う本を入手しました。

著者の門田氏は博士(応用言語学),文学修士,文学士であり、次の学会や協会の会員です。

”International Reading Association,大学英語教育学会,外国語教育メディア学会,全国英語教育学会,関西英語教育学会,ことばの科学研究会,第二言語習得学会,日本音声学会,日本英語音声学会,日本英語学会,日本言語学会,日本言語科学会,英語コーパス学会,日本認知科学会,言語処理学会,日本認知心理学会,日本高次脳機能障害学会,日本心理学会,関西英語英米文学会,日本語教育学会”

専門は心理言語学、応用言語学で、特に第二言語としての英語が、どのようにして知覚・処理され、さらに記憶・学習されるかその心的メカニズムについて研究されております。

そして英語教育や言語学・英語学などの分野にいかに貢献できるか探ることであると言います。現在の研究領域は主に次の3つであります。

(1)第二言語リーディング(L2 reading):文理解過程・音韻符号化・眼球運動、

(2)第二言語メンタルレキシコン(L2 mental lexicon):語彙の知覚・処理・獲得、

(3)英語シャドーイング・音読(shadowing and oral reading):その心的プロセスと教育実践への応用

また門田氏は2008年、4月23日号のニューズウイーク誌日本版のビジネス英語の科学でもコメントをしている学者です。

過去にもニューズウイーク誌は英語の科学に関する記事を掲載しておりますが、概ね納得のいくことを掲載しています。

しかし、残念ながら”シャドーイングと音読の科学”は記憶や大脳生理学や認知面にかなり詳細な科学的な説明がありますが、その中には私でも分かる多くの非科学的な部分があります。

今日からその非科学の部分を書いていきますので、私が間違いか、門田氏の間違いかぜひ皆様に判断いただきたいと思います。

シャドーイングと音読は我々でも実践できることですから、科学的な説明はできないまでもその説明が常識的に納得できるかどうかは、研究者でなくても判断できると思います。

2008年6月27日 (金曜日)

門田氏の”シャドーイングと音読の科学”

検索をしていると門田修平氏の”シャドーイングと音読の科学”と言う本が出版されているのは知りました。

ネットで調べたところ門田氏は本の中で書き言葉や話し言葉の英語にも言及しております。それにも関らず、シャドーイングと音読の良さが科学的に証明できると言う内容です。

結論的にはシャドーイングと音読は効果的であると晴山氏と同じ内容になっています。

しかし、門田氏は英語教育や英語音声の研究者であり、大学で教えている実践者でありますから、本の読者とすれば門田氏の方の発言の方が説得力があります。

科学的に検証した私は”シャドーイングと音読”が究極の学習方法でないと言っておりますが、大学の英語教育の研究者が”シャドーイングと音読”の効果が科学的に証明できると言います。

音読というのは英語文化圏でも英語学習に特に行われている方法ではありません。日本人が日本語をあまり音読しないのと同じです。

総合的に見ても日本語で本を読む場合、読んで本を理解するなら黙読の方が理想的な方法です。これはどの言語でも同じです。

文字を声を出して読むのは脳の活性化には良いのかもしれません。しかし、それは認知症のような脳に問題にある場合なのです。

東大の酒井氏は人間は習熟すると省エネの活動になると言っています。こう考えると学習は脳を最大限活性化するのがベストではなく、いかに省エネで稼働するかが理想なのです。

学習の究極の目的は脳をどう省エネ稼働させるかにあります。音読ではどれほど訓練しても省エネ活動にはならないでしょう。

シャドーイングに関しては英語文化圏の人でも知らないかもしれません。これは同時通訳者が音声を保持するための訓練で通常の会話では必要とされません。

同時通訳者に有効であるから、他の人にも有効であると事にはなりません。脳の動きは通常の会話と通訳者とは違うはずですから、通訳者に有効であるとしても通常の人には有効であるとは断定できません。

さっそく、門田修平氏の”シャドーイングと音読の科学”をとりよせ、どのような科学的な説明をしているのか検証します。

2008年6月26日 (木曜日)

幻冬舎の編集者の方からの返事

先日、幻冬舎から出版された”英語ベストセラー本の研究”について書きました。私がこのままブログに書いたままでは著者には届かないと思い手紙を書きました。

しかし、著者のサイトでもメールアカウントも住所も分からなかったので幻冬舎の編集者の方に手紙を書きました。一読者が編集の方に手紙を書くのですから、数日かけて何度も見直して書きました。

私の主張を裏付ける研究論文のコピーもつけました。

昨日その編集者の方から手紙をもらい、「私の手紙を受け取った、そしてそのコピーを著者の晴山氏にも送った。」と書いてありました。

私は完全に無視されるかと思いましたが、私の意見が正しいと言われなくても、少なくとも著者に私の意見が届いてほっとしております。

私は音読とシャドーイングの基本的な部分を否定しておりますので、相手にされないと思っていました。しかし、取り敢えずは私の意見が著者に届く事となりうれしく思っています。

私の意見は長い間調べて結果なので間違いは無いと自信を持っています。

そして、私は念のためにその後に音読やシャドーイングを再度調べ直しました。

すると”シャドーイングと音読”を肯定している多くの本が出版されており、私には大変大きな驚きでした。

科学的に検証するならば結果は同じになるはずなのに、まったく違った結果が出ております。

これは見解の相違ではなく、科学の捉え方の違いだと思います。科学の捉え方が違うと言う事はニセの科学だと言う事です。

私に不安になってきましたので、もう少し調べてみるつもりです。

2008年6月25日 (水曜日)

シンガポールから掲示板とメールのメンテナンス

行きは関西空港から直行便でドバイに行きましたが、帰りにはシンガポールを経由して、成田に帰ってきました。

シンガポールの空港には無料で使えるパソコンが所々においてあります。そのパソコンはネットワークにつながっておりウエブサイトのブラウザだけが使えます。

ブラウザと言ったのはマイクロソフトのIEではなく、独自のブラウザでメーカーの表示はありませんでした。しかし、空港が無料で使わせるパソコンですから、画面には多くの空港関係やシンガポール関係の会社のリンクが多くあります。

わたしの推測では空港が独自に開発したか、無料で使えるOSやカスタマイズされたブラウザを使っているのではないかと思います。

私の掲示板はウエブブラウザからできるので、URLを入力して掲示板を表示して、パスワードを入力すれば管理人となれます。

幸いにもポルノ系の書き込みが数件あったくらいで、直ぐにメンテナンスは終わりました。

メールに関してはホットメールを使っているのでIEであればそのまま使えますが、独自ブラウザでは一度マイクロソフトの日本のサイトにアクセスする必要があります。

それからホットメールに入り、メールアカウントとパスワードを入力すれば自分のメールが表示されます。見たり、削除するにはまったく問題はありません。

たくさんのメールがきていましたが幸い緊急を要するものはありませんでした。

日本語変換のソフトである、FEPがありませんので日本語を入力できませんが、表示するのはまったく問題ありません。

ロンドンではネットカフェから、そして今回はシンガポールの空港から自分のサイトやメールのメンテナンスができる便利な時代となりました。

2008年6月24日 (火曜日)

ドバイはホコリで煙る

ドバイは去年も仕事で行ったために、私の去年の7月22日から25日に渡り私のブログにドバイの事が書いてあります。もし関心がある方はバックナンバーをクリックすれば去年の記録を見る事ができます。

今回は去年とは違いずっと曇りのような日が多くありました。これはホコリが舞っているために発生するものだそうです。

このホコリは砂漠の影響もありますが、世界の20%近くのクレーンが集まっていると言われる建設ブームも大きく貢献しているようです。

ドバイのような砂漠は土を掘るだけで土埃が舞います。日本では土を掘れば表面が乾いていても10センチも掘れば濡れた土がでてきます。

しかい、ドバイではかなり掘っても乾いた土がでてきます。その土をシャベルカーで掬っても、ダンプにおろしても大変な土煙りとなり空に舞います。

そして乾燥した土は水分がないと粘性を失い、非常に細かい粉のような成分と砂に分離します。

その粉は小麦粉よりは細かい感じになります。それが空に舞うとなかなか地上に降りないようです。だからと言って人間の鼻や口がザラつくような事はありません。

砂漠では表面は砂のような粒上のものが覆われており、大変サラサラした状態です。

つまり、土の粉のような部分が飛び去ってしまい、粒上のものが砂漠を覆っています。それでもその粒は砂浜の砂よりは小さい感じがします。

このような空気ですからココ椰子などの木は全部そのホコリにまみれきれいな緑を見る事ができません。もちろん水をやっている木もありますが、水は効果的に土に直接浸み込ませているために木の葉に水が当っている木はほどんどありません。

逆にそのホコリが日光を遮り、日差しが弱くなり、暑い砂漠では人間には都合は良いのかも知れません。

2008年6月23日 (月曜日)

不在の間に159人の新規訪問者

長い間失礼しました、昨日ドバイから帰ってきました。

私が書き込みをしない6日間にも159人の新規訪問者があり、376のアクセスがありました。更新ができないまま、これだけ多くの訪問者やアクセスをいただきうれしく思っています。

ほぼ毎日書いていながらも一人でも多くの方に読んでもらいたいと思っていましたので、1週間も書かなければかなりの訪問者数が減るのではないかと心配しておりましたが、結果的にはそれ程のアクセス数の大幅減少もなく、ホッとしております。

数ヶ月前にこのブログを英会話関連のタイトルにしたために、多くの方に興味を持ってもらえるようになったと思っています。

そしてなるべく個人的な内容は減らして英会話関連のトピックにしてきた事もあると思っています。

このブログは新規訪問者やアクセスが増えるようにと願って書いていますが、とにかくアクセス数が増えれば良いのではなく、主として英会話学習に関心がある人に読んでもらたいと思っています。

そのために自分の教材の宣伝はしていますが、他の商品や教材の宣伝は入れずに、ひたすらに英会話学習の向上を願って書いていきたいと思っています。

そして特に発音とかリスニングとか文法と言う要素に分けるのでなく、音のストリームとして発音して、聞いて、覚える事が英会話習得において最も効率の良い方法であることを理解していただけるように、書いていくつもりです。

今回もドバイにおいて自分でもたくさんの英語を話し、いろいろな方、いろいろな国方の英語を聞く機会がありましたが、英会話はやはり音のストリームをベースにすべきと再認識して帰国しました。

2008年6月16日 (月曜日)

22日までドバイに出張

今日から22日までドバイに出張してきますので、次の書き込みは23日からになります。また戻りましたら、よろしくお願いします。

長い間ビジネス通訳をやっていましので、長い付き合いのあるクライアントさんは今でも使ってくれる方がおり、4月のロンドン出張も今回も、そのような長い付き合いのお客様からの依頼です。

私は英語を使う事が好きですから、外国へ行く機会はまたとない好機だと考えています。

英語を使うのが楽しい事だと教えたいと思っていますので、自分でもどう使うべきか、どう使えば英会話学習者がより高いレベルの英語を習得できるかを示していきたと思っています。

私は英語を資格試験やテストのためだけに学ぶのは大変にもったいない事だと思います。私も留学のために英語試験は受けていますが、それは必要性があったからの事で今でも合格した事を覚えているくらいで、点数は覚えておりません。

私が試験がきらいなのは、テストで高い点をとろうとするために定められた事を覚えなくはなりません。そのために定められた事を予測して覚え、学ぶ事になります。

しかし、言語を学ぶ醍醐味は試験問題を予想して覚える事でなく、必要な表現や単語をどんどん覚えられる能力を得る事です。

英語を学ぶ面白さは他の学習と同じで、新しい事を学びそれを応用したりするところにあると思っております。

無限とも思われる単語や表現をどれだけ使えるか、どれだけ分かるかと言う事で、永遠にゴールには達する事はできません。厳密に言えば言語をマスターするなどとは簡単に言えるものでありません。

英語の資格試験で満点を取った人はそれで十分に満足なのでしょうか。私はどんな英語の資格試験でも満点がとれたとしても、英語の能力のほんの一部を試したに過ぎないと思っています。

2008年6月15日 (日曜日)

究極の英語リーディングの学習方法

英語はいろいろな特性を持っておりますので、全ての特性を同時に学べる究極の学習方法は存在しません。

アメリカの大学において本国人対象の発音とかリスニングのコースはありません。もちろん音読のコースもありません。自然にやるのが効果的と言う考えなのでしょうか。

リーディングに関してはスピード・リーディングと言うコースがあり、多くの大学で教えています。つまり学習することにより、得るものが大きいからだと思っています。

私もアメリカの大学で受けてみましが、外国人には難しいコースです。アメリカ人の普通の大学生の平均的な英文を読む力は1分間に約250ワードくらいです。

この読む速度は読解力も計りますので、間違った読み方をしているとペナルティーを科せられ、数値を減らされます。スピードリーディグはとにかく速く読めば良いのではなく、理解をしていかに速く読むかと言う事です。

日本語でも速読のコースや教材が売られています。英語でも日本語でも速読するためのテクニックは同じです。

なるべく目を動かさないで、文字をダイレクトに理解するかと言う読み方を習います。その意味では漢字を使った日本語の方は速読に的しています。

英語の場合には単語やフレーズをあたかも漢字を見るかのように一目でその意味を解釈する練習をすると英文を読む速度は飛躍的に伸びます。

私のスピード・リーディングのクラスでも1分間に1万ワードくらい読める学生がいましので、訓練により平均的な学生の40倍くらいで読める事になります。

日本語の場合は漢字があるために英語よりは平均的に速く読めるので自然にスピードリーシングをしているのではないかと思っています。

英語の場合にはなるべく文字を文法的に解釈しないで意味を理解する努力をすればかなり速く読めるようになります。関係詞がでたら後ろからかけるのではなく、トップダウンで理解する能力が求められます。

2008年6月14日 (土曜日)

英語上達完全マップと音読

英語上達完全マップには次のように書いていあります。

”では、なぜ音読は効果があるのでしょうか。私は英語上達の方法は端的に言って、「文構造・意味を把握している文を脳、音声器官を通じて出し入れすること」だと考えていますが、音読はこれを実に効率的にできる方法だからです。
では、音読で向上するのは英語能力のどういう面なのでしょうか?結論から言うと、あらゆる面に効果があります。英文を理解しながら繰り返し自分の口から発して行く作業は、英語を、英語の語順で直接・瞬間的に受け入れる体質を養成し、リスニング力も含め英語の基底能力を総合的に高めてくれます。”

”英語ベストセラー本の研究”の晴山はこれをそのまま肯定した形で音読を究極の英語学習方法としております。

もしこれが事実なら英語文化圏に長年住んでいる多くの日本人はどうして英語が上手くならないのでしょうか。日本に長年住んでいる外国人はどうして日本語が下手なのでしょうか。

これらの日本人や外国人を見れば、言語は文構造・意味を把握している文を脳、音声器官を通じて出し入れしても、言語習得にはあまり意味がない事が分かると思います。

音読をしてリスニング力も高める事ができるのは、もうこじつけとか言いようがありません。洋画を3年間で1000本見た学習者がリスニング力の向上に限界があったと言っております。

音読がリスニング力を高める科学的な説明はできませんし、リスニングは単なる時間を掛けただけで克服できない難しさを持っています。

これは人間の音声認識と記憶の特性からくるもので、脳、音声器官を通じて出し入れする量だけでは克服できないのです。

日本人は神社を高い所に作り、苦しい事をすれば報われると言うのを体験するのが好きなようです。

しかし、英語に関して言えば苦しい音読を無理して継続しても得るものはそれほど大きなものではありません。

2008年6月13日 (金曜日)

最小限に絞れば最大の力

晴山氏は最小限に絞れば最大の力を発揮できると書いており、この意見には私は大賛成です。しかし、大きな問題は絞れば絞る程力は大きくなりますが、ターゲットは小さくなります。

ターゲットを外すと何の意味もなくなり、最小限に絞るのは大変危険な面もあります。

音のストリームで学習する目的はただ一つ、覚える事です。その音を覚えるためには自然な音声である音のストリームを習得します。それの方が覚え易いからです。

リスニングも音を覚える事です。音のストリームの音とその意味を覚える事だと思います。そのために音のストリームの学習は始めから終わりまで覚える練習をします。

単純に音を覚えれば発音も聞き取りもできると言う考えです。そしてプライミング効果で記憶が記憶を引き起こすようになります。

その過程において、モチベーションを維持するために発音練習を軸に学習を進めますが、これも実は発音を覚え、自分の発音を聞いて英語の音と意味を記憶する事です。

しかし、晴山氏の言う音読や英語で考える事とは最小限に絞った目的は何なのかは私には分かりません。

音読も発音の練習にもなりませんし、覚える練習にもなりません。

英語で考えると言うのはこれはもう止めどもない事になってしまいます。とにかく英語で考えろ、と言うのかも知れませんが、日本人が日本語も思考言語もを忘れて英語でひたすらに考えると言うのはかなり難しい事だと思うます。

このような状態で目的を最小限に絞り最大の力を発揮するのはとても不可能なような感じがしますがどうでしょうか。

2008年6月12日 (木曜日)

究極の英語学習方法の原理

晴山氏は究極の英語学習方法の原理は次のものだと言います。

音読+英語で考える

晴山氏が音声英語と文字英語を混乱していると書きましたので音声と文字の区別は無しにします。しかし、”音読+英語で考える”で英語の何が学べると言うのでしょうか。

まず音読はテキストを音声で読み上げる事で、発音の練習でもありません。もちろん音読はリスニングのためには何の役にもたちません。

それよりも”英語で考える”のはどうでしょうか。”考える”事は学習方法と言えるのでしょうか。”考える”とは学習方法ではなく、生活態度ではないでしょうか。

”考える”とは”覚える”とは別の性質のものだと思っています。

それよりも、英語で考える事はできるのでしょうか。その前に我々日本人は日本語で考えているのでしょうか。もし日本語で考える事ができるなら、聞いた日本語はそのまま覚える事ができるはずです。

しかし、現実的には聞いた日本語は思考言語で理解していますので、日本語でも考えている訳でありません。自分の気持ちや考えを十分に文字に表現できない場合は多々あります。これは自分の思考と日本語のアウトプットの表現が一致しないからなのです。

文字でも表現ができないのはかなり時間をかけても上手い日本語がでてこないのです。

人間は母語でさえ思考はできません。それを第二言語である英語で考えるのはとても無理な話です。

”英語は逆から学べ”の苫米地英人氏も母語の影響をなるべく受けないように指導していますが、言語は母語の理解能力を最大限に活用をするのが究極の学習方法であると思っています。

すると英語で考えると言うのは所詮無理な話ですから、究極の英語勉強方法は音声でも文字でも母語をうまくテコに使いながら、覚えていく事ではないでしょうか。

すると、文字英語であれ、音声英語であれ、やはり音読は究極の学習方法にはならないと思います。

2008年6月11日 (水曜日)

音声英語と文字英語

言語には文字言語と音声言語があります。しかし、この言語の関係は意外と希薄な関係です。言語は音声言語から始まっていますが、その音声をある決まりに基づいて記号にしたものが文字言語です。

また文字言語は時間を掛けて書き、記録を残す場合が多いために、フォーマルな文章が多くなります。

もちろん音声英語と文字英語は人間が処理する際にも大きく違います。英語のリスニングとりーディングは脳の処理が違うのが普通です。

英語のリスニングとりーディングは英語の能力の低い人は同じような処理をしようとしますが、それでは大変に遅い処理となります。

英語のネイティブや英語堪能者はリスニングやりーディングにおいて、なるべく音や文字をダイレクトに理解するようにしております。

すると理想的にあ文字を見て理解して、音を聞いて理解することが究極の学習方法です。

詳しい事は下記の研究論文を参照してください。詳しい事が分かります。

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~kosakak/kotoba/ooisi14.pdf

こう考えると、英語学習するためには文字英語と音声英語を同時に効果的に学ぶ事は不可能な事になります。

いろいろな学習方法がありますが、少なくとも別々の方法を選ぶ方が賢明です。

私は英語でも音声英語の学習や教育に関心がありますので、発音とリスニングが主体となります。

私は音声英語の方が学習するには面白みがあり、海外旅行や洋画も楽しめるので、実用的だと思っています。

2008年6月10日 (火曜日)

リスニングとリーディングの違い

晴山陽一氏の”英語ベストセラー本の研究”の最大の誤りは英語のリスニングとリーディングを非常に似た行動、脳活動であるとみなしている点です。

これは國広正雄氏の下記の説明を検証もせずに鵜呑みにしている点なのです。

184Pに
2.「ウェルニッケ中枢」は言語を受身的に理解する事を担当している。
3.「ブローカ中枢」は言語を能動的に使う事を担当している。

これは明らかに誤りです。

ウェルニッケ野と言うのはどちらかと言えば聴覚に近い働きをしております。一方でブローカ野は運動的な活動を担当しております。東大の酒井氏の研究では文法処理はブローカ野の下部の文法中枢であると解明しています。

言語には音声言語と文字言語があり、理想的には音声言語と文字言語は脳においては別々の処理がされが方が処理速度は格段と速くなります。

本を黙読する時にはリップリーディングと言って唇を動かすのは良くない行動とされ、なるべく目を速く動かす事を練習します。これはブローカ野を使い発音運動するのは速く読むための妨げとなるからです。

つまり、文字英語を理解する場合には理想的には見てダイレクトに理解できることです。同様に音声英語を聞いて理解する場合には理想的には聞いてダイレクトに理解できることです。

すると音声と文字の英語情報は脳の認知と理解から見ると、それぞれが別の処理がされた方が理想的なのです。

しかし、ウェルニッケ中枢」は言語を受身的に理解する事を担当しており、「ブローカ中枢」は言語を能動的に使う事を担当していると考える國広正雄氏と晴山陽一氏は、音の英語も文字の英語も同一の処理がされていると考えています。

そのために、音読学習を異常なまでに効果的な英語学習方法として捉える結論に至っています。

Newsweekの日本語版の2007418日号では、音読の目的は「文字と発音を瞬時に結びつけるプロセスを鍛えるため」「単語や文法情報を記憶に内在化させるため」と書いてあります。しかし、日本では人気のある音読も、欧米では、音読は敬遠されているそうです。その理由は、自己流の発音になり、スピードも遅くなるから避けた方が良いとしています。

英語学習は明らかに音声面と文字面の2面が存在しており、音声英語と文字英語の習得は別のスキルであり、それぞれ別の究極の学習方法が存在します。

2008年6月 9日 (月曜日)

英語ベストセラー本の研究

英語ベストセラー本の研究と言う本がでました。晴山陽一氏と言う方が書いたものですが、彼は元、出版社で働いており、自分でも多くの英語関連の本を出しております。

新聞の広告で見たのですが幻冬舎の新書と言う事もあり、行きつけの本屋に展示されておりました。

戦後の英語関連のベストセラーを研究した本で私も多くの本を読んでいますので、大変に興味がありました。

特に英語ベストセラー本の研究した結果の究極の方法が書かれていると宣伝を読んだので、何をもって究極と言うのかも関心がありました。

これから何日かを掛けて検証していきますが、私には多くの疑問があり晴山氏に直接聞いてみたいと思い、本やサイトで調べましたが、残念なことにメールアカウントや掲示板は見つかりませんでした。

晴山陽一氏は私よりは6才も若い事になりますが、その年代の本の著者でメールアカウントも公開しないのは大変に珍しいと思います。

このネットの時代に本を販売するだけで、一方的に情報を流すと言うのは私には理解できません。

晴山氏はどちらかと言えば多くの本を肯定的に捉えており、基本的にはベストセラーの本は正しいと言う捉え方をしております。

そして、音声英語と文字英語の区別をしていないために、英語ベストセラー本の矛盾さえも説明できない点が多くあります。

出版される本と言うのは多くの場合に他の本を批判しません。多分本が多くの人に買ってもらうための配慮かも知れません。

しかし、学習が本当に知りたいのはあれも良い、これも良いと言う情報ではなく、何が科学的に正しくどうすれば本当に効果的な学習ができるかと言う事です。

明日から一つずつ検証しますが、晴山氏の本も全体的にはあれもこれも良いと言う書き方をしております。

最後の究極の学習方法も、本当の究極の方法にはならないと思っています。

2008年6月 8日 (日曜日)

リスニングにおける母語の干渉

私は第二言語における母語の干渉はほとんどないと思っています。

第二言語に母語にない音は母語の音に置き換えると言いますが、それはありえないと思います。

それは人間が音声を聞いた時にそれが第二言語の英語か母語である日本語であるかの判断はできないと思うからです。

「サンキュー」と言われた時にthの発音ができていれば英語でそうでなければ日本語と言う区別はしてないと思います。

「サンキュー」と音のストリームのストリームが意味を成す場合に前後の関係から辻褄が合えばそれは英語と理解しても、日本語と理解しても構わないし、実際には区別をしていないと思います。

犬が鳴く場合に「ワンワン」と表記するのは、母語の干渉と言うよりは、学習の結果だと思っています。

音を感知する段階では英語文化圏でも日本語文化圏でも同じ物理的な現象として捉えていると思います。それを「ワンワン」と捉えるか「バウワウ」と捉えるかは学習の結果です。

もっとはっきり言えば間違った学習の結果であって母語が干渉しているのとは違うと思います。その理由は英語文化圏であれば「バウワウ」と知っていれば直ぐに正しい事を学習する事ができます。

発音の場合には気を付けていても、知らずに日本語の癖がでてしまうので干渉になります。

しかし、単なる学習で避けれるのであればそれは学習不足か、間違った学習だと思っています。

音声英語の学習で気を付けてでてしまう癖のようなものが一番に問題であり、これはかなりの時間を掛けて克服しなければならないと思っています。

2008年6月 7日 (土曜日)

母語の干渉の克服

次に臨界期を過ぎたら母語の干渉があるから、第二言語の発音の練習は母語とは違うべきではないかとの指摘を受けました。だから発音つまり調音する方法を教える必要があると言うのです。

私も母語の干渉は大変な問題であり、私の音のストリームで学ぶ場合の最大の問題は母語の干渉をいかに最少に抑えるかにあります。

発音を話者の便宜と位置付けているのも、いかに自然な発音が大事であるかを意味しています。

発音が不自然だと発音がし難いために覚えるのが大変です。音を意味を覚える事ができないとリスニングにも問題が残ります。

母語の干渉を克服するために音素を教えると言うのは正しい考えではありません。音素確実に身に付けると発音がロボテックとなり、不自然な音になります。

音素ベースの発音教材は音素の次に、その不自然な音を矯正するために文章とかの発音でリズムとかの練習をします。自然なリズムを刻むためには覚えた音素をどういい加減にごまかすと言う練習をします。

後から覚えた音素をどういい加減にごまかすと言う練習をするなら、なぜ最初からその自然な発音方法を教えないのでしょうか。

音素を教える人は英語には正しい音があると言います。それならなぜその正しい音を並べたら自然な音にならないのでしょうか。

母語の干渉を克服するのも、自分の発音を録音して、干渉を受けている部分を少しずつ矯正する以外に直す方法はありません。

そして音声は連続的に変化する音であること意識しながら自然な発音を身につける事により、発音し易い、そして自然な発音が身に付きます。

2008年6月 6日 (金曜日)

母語と第二言語学習の違い

昨夜、母語と第二言語の学習は違うのではないかと言うメールをもらいました。つまり、臨界期を過ぎて第二言語を習得する場合には音素を意識すべきではないかと言う主張でした。

私は母語と第二言語の学習の違いはあると思っています。

しかし、音声を使う場合には母語であっても、第二言語であっても、音をコントロールするメカニズムが替わる訳ではありません。

現代言語は日本語でも英語でも音声をコントロールするメカニズムはまったく同じです。

しかも臨界期を過ぎても母語の音の調整は変わっておりませんし、第二言語でも母語を同じ仕組みで音を調整しているのです。

すると音声の捉え方と調整の仕方は母語と臨界期以降の第二言語の習得でもまったく同じであるべきです。

現代言語は相対音感であり、音が連続的に変化する音のストリームであることは既に説明しました。

それが事実であれば、発音やリスニングの練習は母語でも第二言語でも替えるのはおかしな事です。

臨界期で最も大きな問題は音の調整が急激に下手になる現象です。だからその音の調整する力を養うべきなのです。

そのためには音声には存在しない音素ベースを止めて、音のストリームにすべきです。

音の調整が下手になりますので、音の調整をする練習をすべきであるし、その練習方法は母語でも第二言語でもまったく同じはずです。

2008年6月 5日 (木曜日)

音のストリームはなぜ難しい

音のストリームで教えるのが難しいのは言語教育の本質に迫るからです。つまり言語を教える場合には音のストリーム的に考えれば基本になる音がありません。だから教える順序がないのです。

音素が45音あるとでっち上げればその音を基本に教える事ができます。しかし、その基本の音がないと言うなら順序はどうでも良い事になります。

英語を母語として習う場合もそうですが、我々が日本語を習う場合を考えてみましょう。日本語を覚えた順序は全員がそれぞれが違ったはずです。

しかし、全員がそれぞれが違った方法で学んでも全員の日本人が問題ない日本語を身につけており、それぞれが効果的に日本語を覚えています。順序が重要でないのは明らかです。

学ぶ順序は無くても一般的には”ママ”とか”ウマ”とかいう短い単語から覚えているとは言えますが、各自にとって必要な単語や覚え易い単語から覚えているのが現実で、ベストな方法なのです。

音の基本がないのですから、覚え易い音から覚えると言うのは大変に自然な事です。これは英語文化圏でも英語の覚え方は各自全員が違うのです。

すると英語を音のストリームとして覚えるなら順序はどうでも良い訳です。そのために教材で順序を決めるのは逆に難しいのです。

現在の私の音のストリームで習う英会話の教材には短い表現から並べてはいますが、覚える順序は私が勝手に並べたもので、こうでなければならないと言うものでありません。

教える立場からすれば30音であるとか、45音であると音の基本がある事にすれば、とりあえずはその音を説明する事が優先され、そして単語、そして文章と言う手順が生まれます。

音声にその30音とか45音とかが無いと言う事であれば、それは意味のない順序であるし、私はそれ以上に効果的ではないと思っています。

2008年6月 4日 (水曜日)

人間の聴覚と視覚

人間が新しく教育を受ける場合に視覚と聴覚のどちらが大事かと言えば、聴覚の方が重要です。日本で耳の不自由な方への教育は最近になって一部の学校で手話だけで教えられるようになりましが、現在では口話が一般的なのです。

口話とは一般的には読話と発声を組み入れたコミュニケーション手段であると言われています。

つまり聴覚の不自由な人が教育を受ける場合には、まだ教育を受ける手段さえ確立がされておらず、現在使われている口話も大きな問題があるようです。

目が不自由な方は点字を覚えてしまえば、通常の音声による授業も受ける事ができ、口話のような大きな問題はありません。

目の不自由な方が、特に音楽などでは健常者以上の活躍をしている人は世界中でたくさんいます。

学習する場合にいかに聴覚の方が視覚よりも重要であるかを理解してもらえると思います。

生物学的に言えば哺乳類と爬虫類の大きな違いは哺乳類は耳小骨が3つとなり、音を聞く能力が高まり大脳新皮質が発達したと言われています。

人間でも聴覚をコウモリの音波のように使い、エコーロケーションとして物体の位置やサイズの確認に使う事も可能になります。

哺乳類の脳が非常に大きくなったのも聴覚との関係が深いのです。

すると英語の音声学習においては人間が持っている優れた聴覚を生かす方法が脳を生かし、そして喜ばす事にもなります。

逆に音素ベースの場合には45音とか30音とかに割り切って、簡単に教える事が優先されてしまいます。

すると割り切って教える方は楽になりますが、実際に音声英語で学習すべきなのは微妙な音の動的な変化やストリームであり、その学習が楽しむ事が、学習の楽しみなのです。

これは人間の大脳の発達の歴史や、哺乳類の優れた聴覚能力を知ることによっても十分に理解できると思います。

英会話の学習においてその聴覚を最大に生かす方法が効果的なのはこの生物学的な哺乳類の特性を生かしているからです。

2008年6月 3日 (火曜日)

原始の言葉は全体音のストリーム

日本の国も大きな変化を遂げていますが、いろいろな所には長い歴史の跡が残されています。

人間が生物として数十億年の進化の結果であることは、我々の現在のDNAにその痕跡が残っています。

我々が話す英語や日本語にも長い歴史がありますが、その歴史の痕跡は今の英語や日本語にも多く残っているはずです。

現代の言語は相対音感を使っていますが、現存する3000以上の現代言語の基となるプロト言語が3つくらいだった事が判明しております。

現在の地球上のすべての人類は先祖をたどると8人とか10人の母親から生まれている事を考えると、すべての言語が同じプロト言語から発生した可能性は高いのです。

それではそのプロト言語の前の言語はどのようなものだったのでしょうか。

人間の頭蓋骨を調べると喉の構造が判明するそうです。ネアンデルタール人の喉の構造は現代人よりも短いために、複雑な音を出す事ができなかった事は判明しています。

我々の先祖がネアンデルタール人との戦いに勝ったのは複雑な言語を使う事ができ、情報の伝達が優れていたためだとも言われています。

人類の歴史としては比較的近代のネアンデルタール人の言葉の音でもかなりシンプルな連続音であったようです。

しかし、我々の祖先がこの段階で音素を発見して言葉ができたのではなく、シンプルな全体音がより複雑な全体音となり、文節を持ったと考える方が自然です。

音声に音素と言う概念を人類が持ち始めたのはわずか約半世紀前の事なのです。

人間の先祖は類人猿ですが、その叫び声が言語の起源であることは間違いがありません。するとその音声は音素をベースとしたものでなく、全体的な連続音であったことになります。

するとその連続音の名残は今の日本語にもたくさん残っているはずです。

”シンブン”の最初の”ン”と”シンジュク”の”ン”は音として大きく違います。しかし、同じ文字を当てていますが、音の性質はかなり違うのです。”これが”の”が”と”ガッコウ”の”ガ”も大きく違います。

つまり、言葉の音は単音(音素)が並んで意味を持つのではなく、連続的な多様性のある音の変化がそれぞれの意味合いを持っているのです。

現代言語が音のストリームであると言うのは、不思議な事でなく、言語の起源の特徴が今でもしっかり残っているからなのです。

2008年6月 2日 (月曜日)

英語耳の松澤さんは音声の動的認識に100%同意

私は数年前に松澤さんと、松澤さんの掲示板で音声認識の議論をしました。私が松澤さんを選んだのは松澤さんが音声認識のソフト開発の関係者だったからです。松澤さんであれば音声認識の議論は避けないだろうと言う読みがありました。

松澤さんは音声認識に関与してから英語の発音に関心を持ち始めたようです。

議論は長いものになりました。松澤さんは最初は43音の音素ベースで認識していると主張しておりましたが、最終的にはハム太郎氏と言う方が音声認識は音素ベースで考えるのはおかしいと言う結論を出し、松澤さんはそれを100%認めました。

そして人間の音声認識は音素のような静的認識でなく、音の変化をダイナミックに感じ取る動的変化であると言いました。

そして、ハーバード大のピンカー氏の”言語を生みだす本能”の存在を教えてくれました。その本の中には”音素があると聞こえるのは錯覚である”と書かれていました。

英語耳の43音をベースに発音を教えている松澤さんが人間が音声を認識するのは43音で認識していない事を認めているのです。

これにより、発音できれば聞き取れると言う事も否定したことになります。音素で音声を認識していなければ、その音素を発音する事も不可能になります。

最近の”単語耳”では43音ではなく、シラブルの連音の重要性を説明しているのはそのためだと思っています。

私は43音の発音学習も誤りであると書き、これは荒らし行為と言う事でそれ以降、現在でも私は松澤さんの掲示板には書き込む事ができません。

私がサイトを開設して掲示板を始めた時には音声動的認識だとすると、発音練習はどのように動的認識を生かすべきかを議論したいとメールが出しましたが、まだ私の呼びかけにはまったく返事も反応もありません。

2008年6月 1日 (日曜日)

音素的な考えは理解し易い

音声科学原論の著者の藤村靖氏によると、”音声を科学的に分析すれば、音声に子音と母音が同格で並んでいると考えるのは大変不自然である。母音はシラブルの連鎖において各区分の(すなわちシラブル)の中核となり、子音はそのシラブルの周縁に一時的な逸脱として乗っているとの考え方をすれば、子音動作の一つは一つも、母音の平衡状態から一時的に逸脱し、やがて自然に元の準静的な状態に戻ると考えるのが当然であろう。”と言っています。

音声は物理的には連続的な音の変化でありますが、調音音声学のように子音と母音を同格に扱い体系的に分類して考える方が理解し易い利点があります。

この音声を子音と母音を同格に扱う音素的な体系が根付いたのは、チョムスキーあたりが「音素線状理論」を言い出した頃からの事で、今からわずか50年くらい前の事なのです。

このような音声を体系的にまとめるのには大変おもしろい考えで、各言語間で母音や子音の分類や比較研究がなされ音韻論と言う学問になっています。

しかし、子音と母音に分けた考えで発音や聞き取りの練習をするには問題が発生します。

それは英語を第二言語として学ぶ場合は、まず音素の違いの学習をする必要があるとか、すでに日本語の回路ができてしまった成人は音素の並びとして補正する必要があるとかと考える人がいる事です。

音素はあくまでも人間が学習した錯覚ですから、音素の違いなどは学習する事もできないし、音声にない音素を補正する事などできるはずはないのです。

音声にない音素が本当に補正できたと感じるなら、それは見えないはずのお化けを見たと同じくらい非科学的な事なのです。

概念的な音素は人間が体系として考えているだけのものですから、発音とかリスニングの音声は概念の音でなく、物理的な自然な音声そのものを相手にしなければなりません。

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